戦時中の宝塚歌劇団の様子をカラー化

戦時中の宝塚歌劇団の様子をカラー化

今回は宝塚歌劇団の戦時中の様子をカラー化しました。100年以上の歴史を持つ宝塚歌劇団は1913年に実業家の小林一三により創設されました。小林一三はすでに阪急電鉄を創業しており、宝塚一帯の田園都市構想として宝塚歌唱隊を作り上げました。

1919年(大正8年)には、私立学校としての認可が下り宝塚音楽歌劇学校が設立され、新たに宝塚少女歌劇団が発足されました。

1940年から徐々に戦争の影響を受け、軍需工場や軍病院へ慰問公演を行うようになりました。今回はそのような時の写真です。

それでは、早速見ていきましょう。

1940年(昭和15年)9月26日

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こちらは1940年(昭和15年)9月26日東京芝浦電気マツダ支社川崎工場での雪組の公演のだそうです。926日というと、日独伊三国同盟が締結される前日のことでした。太平洋戦争は開戦していませんが、日中戦争の最中です。

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こちらは1941年(昭和16年)214日東光電球株式会社の月組の様子です。

休閑地の利用

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こちらの写真は、戦時下での自給自足を目指し、休閑地を利用して野菜栽培を奨励した記事で使用された写真です。モデルは三浦時子(右)と萬代峯子(左)元の記事は昭和164月刊行なので、撮影時期もおそらくそのあたりですね。

滑空訓練と美

宝塚と戦争

滑空機の操縦訓練だそうです。この時期だと学校の庭に滑空機を運び出し、訓練をすることは特別なことでなく常識に近かったようです。

翼賛婦人の体位向上について

戦時中の宝塚

「産めよ殖せよ」と騒がれているが、そのためには女性が健全な母体を保ち続けることを努力しなければならない、といった「翼賛婦人の体位向上について」という記事に使用されていた写真です。モデルは紀の水美恵(右)と雛鶴京子(左)。

運動

戦前のラート

体力向上のために運動を奨励した記事に使用されていた写真です。さまざまなスポーツを紹介しており、この写真ではラートの様子が写されています。ドイツ人が発明したラートは、戦時中は航空操縦士養成の訓練活動に用いられていたそうです。

工場

宝塚の工場

こちらは劇中の様子です。劇名は『工場』というようで、明らかに戦争の影響を受けていることがわかります。

もう少し、この時代の宝塚歌劇団のカラー写真を見てみたい方はkindleで『戦争と宝塚 AI Color Series』というものを出しましたので、こちらをご確認をよろしくお願いいたします。

戦争と宝塚 AI Color Series

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