今回は戦前の女学生の学園生活をカラー化していきます。これらの写真は1938年に徳島県で撮影されました。当時の教育制度では義務教育は6年間だけで、その後の進路は親の経済状況によって異なりました。文部科学省の『第2章 教育の普及と社会.経済の発展 2 わが国の教育普及の史的考察 (3) 中等教育の普及と女子教育の振興』によると中等教育期間に進学した女子の人数は1940年で22%しかいなかったそうです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad196201/hpad196201_2_012.html
そんなごく一部であった高等女学校の様子を見ていきましょう。
1.休み時間の様子
校庭なのか、それともどこかに課題学習にきているのか、どちらにしろ楽しそうです。ピースサインをしていないだけで、現在とほとんど変わらないですね。
2.裁縫の時間
この時期、高等女学校の基礎強化には国民科,理数科,家政科,体練科,芸能科の5つがありました。太平洋戦争が本格化した頃には、「学徒戦時動員体制確立要綱」により軍服を作っていたそうです。
3.お弁当の時間
みんなでお弁当を食べていますね。しかし、なぜこのような溪流で食事をしているのでしょうか?
4.弓道
これは体育の授業でしょうか?後ろで非常に多くの学生が見守っています。ゆがけ(手につける道具)は流石にしているようですが、胸当てはしてないようですね。
5.学校祭
学校祭なのかよくわかりませんが、謎の出し物をしています。
6.行軍
今も幼稚園で行っているところがたまにありますが、当時は女学生もしていたようです。行軍は字の通り元々は軍事訓練でした。
7.踊りの出し物
学祭か運動会の出し物でしょうか?多くの学生が校内から見学しています。
8.若人の熱血戦
こちらは運動会ですね。手前のコートがバスケットボール、奥の2つのコートがバレーボールのようです。ちなみにバスケットボールは1908年頃に、バレーボールは1910年ごろに日本へ紹介されたようです。意外と歴史が長いですね。
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130年前の日光の写真をカラー化して写真集として残したい
https://readyfor.jp/projects/pearbook

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